はじめに

文学作品の味わいを味覚で再現したコーヒー「飲める文庫」が、10月27日から期間限定で販売されています。作品の感想をAI(人工知能)が分析し、味覚に変換してレシピを作成。それをもとに専門家がコーヒー豆をブレンドして忠実に再現しています。

このコーヒーを共同で開発したのは、世間でもよく知られた“あの電機メーカー”。畑違いにも思われるコーヒーづくりに進出した狙いはどこにあるのでしょうか。


『人間失格』は質の高い豊かな苦味?

夏目漱石の『吾輩は猫である』『三四郎』『こころ』、太宰治の『人間失格』、森鴎外の『舞姫』、島崎藤村の『若菜集』——。日本を代表する6作品の読後感をコーヒーの味わいで再現したのが「飲める文庫」です。価格は100グラム当たり950円(税込み)。11月30日までの期間限定で、「やなか珈琲」の一部店舗と通販サイトで販売されています。

6作品飲み比べドリップパックの「こころ」

淡々と語られる人間の弱さを、滑らかな口当たりと質の高い豊かな苦味で表現したという「人間失格」。風刺的でおかしみのある猫の語りを、ほろ苦さと甘味、香ばしくキレのある後味で再現した「吾輩は猫である」など、コーヒーの苦味、甘味、余韻、クリア感、飲みごたえといった5つの味わいで、6作品を表現しています。

この「飲める文庫」をやなか珈琲と共同で開発したのが、大手電機メーカーのNECです。なぜ、同社がコーヒーの開発を手がけたのでしょうか。その理由について、デジタル戦略本部の茂木崇さんは次のように話します。

AIが生み出す“未知の体験”

「当社が展開している『NEC the WISE』というブランドのAI技術を活用して、より多くの人にこのブランドを知っていただくとともに、人間とAIがコラボレーションして新しいものを生み出し、多くの人に“これまでにない体験”を提供したいと思い、『飲める文庫』に挑戦しました」

読書離れが進む現代で、AIを活用して文学と人間の新たな関係を作り出せたら面白いのでは、というところから始まったのが、今回の取り組みなのです。

「飲める文庫」の作成フローチャート

同社のデータサイエンティストが文学作品に関する1万件以上のレビュー(感想)から、「こういう文章だったら苦味」「こういう文章だったら甘味」という関連付けを行い、最先端のディープラーニング(深層学習)技術を用いて、人間の“感性”を5つの味覚指標に変換しました。「目指したのはAIに人間の感性を理解させること」と茂木さん。

その指標をレシピとして、やなか珈琲のカップテスター(コーヒー豆の産地、銘柄などの品質見極め、各豆の本来の風味や味わいの味覚を検査する専門職)がコーヒーをブレンドし、6作品それぞれの読後感を再現しました。

【学習データにおける味覚指標とレビュー文の例】

味覚指標レビュー文の一例
苦味悲しい結末だった。切なさが湧きあがってきた
甘味青春時代の懐かしさを感じた
余韻人生について考えさせられる一冊だった。心に残る素晴らしい作品だった
クリア感テンポが良く爽快で一気に読めた
飲みごたえ読むのに時間がかかったが十分楽しめた

AIの指示に合わせる苦労も

感性を味覚で再現する際に、文学との相性がよいという理由で選ばれたコーヒー。AIによって作成されたレーダーチャートを忠実に再現するには苦労もあったといいます。

ブレンドコーヒーを作るときは通常、最初に大まかな味のイメージを決め、販売価格の設定から使用する原料を選び、それぞれのコーヒー豆の持つ味の特徴を勘案しながら配合内容を決定。その結果、コストと味のイメージがおおむね合っていれば商品化されるそうです。

ただ、今回は味の指標がかなり具体的に提示され、なおかつ、6作品ごとに風味の違いも表現する必要がありました。「通常では配合しないような豆の組み合わせも試みつつ、試行錯誤を繰り返しました」(茂木さん)。

今回の取り組みについて、茂木さんは「あくまでプロモーション」だと話します。同社ではすでに、ディープラーニング技術を活用して、画像判別の領域では製品の不良品検査、金融取引の不正取引検知、道路路面の劣化診断、求人企業と求職者のマッチングなどに取り組んでいます。

現時点ではビジネスでの利用が目立つAI技術ですが、私たちの日常生活でも活用が進んでいけば「飲める文庫」のように“思わぬ果実”が実るかもしれません。

(文:編集部 土屋舞)

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