はじめに

南海トラフ巨大地震や首都直下地震への備えが叫ばれる中、最近は北海道沖でも「超巨大地震」のリスクが切迫していると話題になりました。日本列島はどこでも大きな地震リスクを抱えています。必ず来る「次の震災」への備えは必至。お金の面なら「地震保険」がまず思い浮かぶと思いますが、それだけで安心はできるのでしょうか。


保険金や保険料は細分化、民間の新タイプも

地震保険は地震や噴火、津波による損害を補償する公的な保険制度です。現在の仕組みでは、火災保険とセットで契約することが原則。保険金額は火災保険の30~50%の範囲内で、建物は5000万円まで、家財は1000万円までを上限に決められます。

実際の支払い額は、建物や家財が「全損」したときは保険金の100%が、「大半損」は60%、「小半損」で30%、「一部損」で5%。その判定は、国のおおよその基準を基に保険会社が被害状況や建物、家財の時価などを個別に調査して決めることになっています。

契約者が払い込む保険料は、対象建物のある地域や耐火性の有無、契約の長さなどで算定。そこから新耐震基準(1981年6月以降)の新築であれば10%を割り引く「建築年割引」や、住宅の品質確保の促進等に関する法律(品確法)に則った耐震等級ごとに最大50%を割り引く「耐震等級割引」など、各種割引制度がいずれか一つ適用されます。

「損害保険料率算出機構」が国に届け出ている最新の保険料算定基準によれば、保険金額1000万円、一般的な木造(非耐火)で割引率10%とした場合の1年契約、一括払いの保険料は北海道や日本海側の各県がおおむね1万円強、太平洋側の宮城や愛知、大阪、宮崎などは2万円前後、茨城や埼玉、徳島、高知が3万円前後、東京と千葉、神奈川、静岡が最高額の3万5,000円です。これらは東日本大震災後に見直された地震の危険度などが反映されています。

しかし、地震保険は公的な制度である分、さまざまな制約や厳密な手続きがあります。これに対して、最近はそれを補うような独自の「地震補償保険」を設ける保険会社も出てきました。火災保険とのセットでなく、単独で加入でき、手続きも簡素化。保険金の支払い額は、自治体が災害後に発行する「罹災証明書」に基づいて査定されるそうです。

こうした民間の創意工夫や健全な競争によって、地震保険自体もより現実的で使い勝手のいいものに改善されていけばいいのでしょう。しかし、なかなかそうはいかない事情があります。その歴史的な背景も見てみましょう。

困難な運用、国の「再保険」で成立

大きな被害が出るほどの地震は、そう多くの頻度で発生しません。しかし、ひとたび大地震が発生すると、社会的な損害は巨額に膨れ上がります。

損害は地震の規模や発生場所、季節や時刻によって大きく変わり、損害保険の前提となる「大数の法則」が通用しません。大数の法則とは、今で言う「ビッグデータ」を活用した制度の安定的な運用のことです。このため、自然災害の多い日本でも、地震保険制度の整備は簡単に進みませんでした。

1925年の関東大震災では東京、神奈川を中心に1都6県で死者10万人超、経済損失は当時の国家予算の3倍を超える約50億円でした。被災した建物に付けられていた火災保険の保険金額も16億円に上りましたが、当時の損害保険会社の総資産は2億円程度でした。

保険会社は約款で地震による損害を免責しており、被災者への保険金支払いはありませんでした。これに不満をもった被災者が保険会社を訴え、勝訴はできませんでしたが、保険会社は政府からの借り入れなどで見舞金を支給することになりました。

こうして公的な地震保険制度を求める声は高まります。しかし、財政ひっ迫を懸念する国は民間主導でやるべきだと主張し、民間は国に強制されては保険会社がもたないと主張。そのせめぎあいは終戦後も続きます。

状況が打開されたのは1964年、新潟県を中心にM7.5の地震が襲った新潟地震でした。死者26人、全壊家屋2,000棟近くの被害が出る中、大蔵大臣だった田中角栄元首相が地震保険の必要性を強く主張。ちょうど衆議院の大蔵委員会で審議中だった保険業法改正案に、「わが国のような地震国において、地震に伴う火災損害について保険金支払いができないのは保険制度上の問題である」「速やかに地震保険等の制度の確立を根本的に検討し、天災国というべきわが国の損害保険制度の一層の整備充実を図るべきである」との決議を付帯させました。そして1966年、政府が民間保険にさらに保険をかける「再保険」を引き受けることで、日本初の地震保険制度がスタートしました。(損害保険料率算出機構『日本の地震保険』)

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