2017.04.12

中世イタリアのベンチャー精神

簿記の歴史物語 第4回

中世イタリアのベンチャー精神

12世紀の地中海、朝靄のなかを一隻の貿易船が進んでいく。

いても立ってもいられず、アンサルド・バイアラルドは舳先から身を乗り出した。周囲には漁師たちの船がぽつぽつと散らばっており、足元では魚がぴちゃぴちゃと飛び跳ねている。空にはカモメだ、陸地が近い。それらに目もくれず、アンサルドの船はまっすぐに波を切り裂いていく。

彼は無一文から身を立てた船乗りだ。

今回の貿易の成果は上々だった。陸地に着いて清算するまで正確な金額は分からないが、利益は70リラを下らないだろう。契約に基づき、利益の1/4、すなわち約18リラがアンサルドの懐に収まるはずだ。

誰かに顎先で指図されるのはもう終わりだ。

ついにアンサルドは、金持ち連中の仲間入りを果たすのだ。

やがて朝日が昇り、海面がキラキラと光を放つ。朝靄は薄まっていき、その向こうから壮麗なジェノバの町並みが姿を現す──。

以上のシーンは私の想像ですが、アンサルド・バイアラルドは実在の人物です。

なぜ彼のような無名の人物のことが分かるかといえば、当時のイタリア都市では「公証人制度」が普及していたからです。彼はインゴ・ダ・ヴォルタという資産家の出資を受けて、貿易商として成功を収めました。その取引の概要が、当時の公証人の記録簿に残されています。

公証人とは、契約書や法的文書の作成を請け負って、その正しさを証明する職業です。

古くはローマ帝国の時代から、ラテン語で公証人を意味するnotariusという職種が存在しました。古代のnotariusたちは、帝国の威信にもとづいて文書の正しさを担保していたようです。しかしローマ帝国の崩壊により、一旦はこのような書記職は失われました。その後は、各地の教会や王権が、法的文書の証明能力を担うようになりました。

ところが11世紀に入り、イタリアで自治都市が成立するようになると、状況が一変します。

公証人制度が生まれた理由

ジェノバのような都市では、皇帝や王様のような頼るべき上級権力が存在しませんでした。一方で封建主義は弱まり、商業はますます盛んになっていました。契約書を結ぶ必要性が一気に高まったのです。こうした状況のもとで公証人という職業が生まれ、ギルドを形成し、ありとあらゆる取引の契約内容を証明するようになりました。

この時代(※中世末期~ルネサンス期)のイタリアで公証人制度がどれほど重要だったのかは、その人数を見れば分かります。たとえば1293年のピサでは232人の公証人が活動していました。同時期のジェノバでは約200人、フィレンツェでは約600人の公証人がいたと推定されています。当時のピサの人口は約4万人、フィレンツェは約9万人であり、じつに150~200人につき1人の公証人がいたことになります。参考までに、2016年の日本の弁護士は約3,400人に1人です[1][2]

時代が下っても公証人の必要性は下がりませんでした。1427年のフィレンツェでは、人数の多い職業の第1位が公証人でした。ピサでは第2位、ピストイアやアレッツォでは第3位でした。公証人として活躍することが社会的階層を上昇する方法のひとつだったことも、職業人口の増加に拍車をかけたようです。

たとえば一昔前の日本では、「いい大学を出ること」が社会的地位を確保する方法でした。当時のイタリアでは「公証人になること」が、昭和日本の「大卒」と同じようなものだったのかもしれません。

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