はじめに

「……しかし船は板きれにすぎず、船乗りは人間にすぎぬ。陸のネズミがいれば海のネズミもいるように、陸の盗賊もいれば海の盗賊――つまり海賊もいる」

これは『ヴェニスの商人』に登場する高利貸しのシャイロックのセリフです。本作の主人公アントーニオは、友人のためにシャイロックからお金を借ります。アントーニオは貿易商で、積み荷が届けば借金を一気に返済できるはずでした。ところが、シャイロックの不吉な予言通りに貿易船は沈没。さらにシャイロックは、借金の担保としてアントーニオの肉1ポンドを切り取ると言い出して、さあ大変――。というのが、この作品のあらすじです。

シャイロックが言うように、ルネサンス期の貿易には危険がつきものでした。海難事故で船が沈んだり、あるいは海賊に襲われたり……。無事に積み荷が届くかどうか、当時の商人たちは気が気でなかったでしょう。前回の記事に登場したアンサルド・バイアラルドが冨を手にしたのは、幸運にも航海が成功したからにほかなりません。

現代であれば、輸送中の積み荷には海上保険をかけるのが普通です。たとえ船が沈没しても、保険金によって損害を補填できます。じつは、この海上保険も複式簿記と同様、ルネサンス期の北イタリアで発明されたと言われています。


現代保険の原型

海上保険の原型は、「冒険貸借」と呼ばれる特別な融資でした。

これは貿易業を営みたいと考えている個人への融資であると同時に、もしも海難事故で船や積荷を失った場合には返済しなくていいという契約です。歴史は古く、古代ギリシャにもすでに似たような契約があったと言われています。

この契約では、カネを貸す側は(現代的な保険に比べて)かなり高いリスクを負います。航海が成功すればいいものの、失敗すれば貸したカネが返ってこなくなり、丸損してしまいます。そのため利子率は高く、一航海あたり20~30%だったそうです。これは当時の一般的な融資に比べても高率でした。

ところが、11世紀~12世紀にカトリック教会は「徴利禁止」を強化していきます。高利貸しはダメですよ、という教義を打ち出したのです。そして13世紀、ローマ法王グレゴリオ9世が布いた「徴利禁止令」によって、この教義は揺るぎないものになりました。

通説では、この教義によって従来の「冒険貸借」は宗教的にヤバくなり、現代的な保険の発明につながったとされています。

面白いのはここからです。

通説に反して、冒険貸借が宗教裁判にかけられた事例は発見されていません。そもそも「徴利禁止」が強化されたのは、商工業が発達し始めた時代。社会経済のなかで「金融」が存在感を増していた時期に当たります。むしろ徴利禁止は、時代に逆行する教義だったはずです。

それを裏付けるかのように、カトリック教会はこの時期に「煉獄」を発明しました。地獄に落ちるほどではない罪人が苦しみながら最後の審判を待つ場所、それが煉獄です。さらに、免罪符を買えば天国に行けるという教義を思いつきました。

地獄に落ちるほどではなく、免罪符にカネをつぎ込むような罪人といえば――。

そう、高利貸しや、富裕な商人です。

「金融」が社会的に無視できない存在になったことも、これらの教義が生まれた一因だったのかもしれません。封建社会が少しずつ解体されていき、それまでの権威が弱まることを恐れたからこそ、教会は商人たちを締め付けるような教義を採用したのではないでしょうか。

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