はじめに

「あー、うつだなあ……」

こんなふうに軽い気持ちでつぶやいたことのある人、心の中で手を挙げてみてください。きっと多くの方に心当たりがあるはず。

ですが、次に「“自分は本当にうつ病ではないか”と疑ったことがありますか?」と問うてみると、手を挙げる人はずっと少なくなるのではないでしょうか。厚生労働省の調査によると、うつ病をはじめとする気分障害の患者数は110万人超。うつ病を経験した人の割合である生涯有病率は、人口の2割近くになります。

しかし、現在の日本ではうつ病への理解は十分とは言えません。結果、まさか自分が病気だとは思わず、診断を受けないまま病状を重くしてしまう「ステルスうつ」に陥っている方も。思うように頭が働かなくなったり、好きだった仕事ができなくなったり……。こじらせてしまう前に自分の異変に“気づくこと”はできるのでしょうか。

そこで今回は、累計33万部を突破したコミックエッセイ『うつヌケ』の著者であり、自身もうつ病を経験・脱出した漫画家の田中圭一氏に話をうかがいました。

「うつヌケ 〜うつトンネルを抜けた人たち〜 第1話」


あらゆる可能性をつぶさないと、うつ病には気づけない

――田中さんがうつ病にかかったのは、いつ頃のことだったのでしょうか?

田中圭一氏(以下同): 2005年頃から気持ちが沈むことが増えました。

気分が落ち始めた当初、身体そのものはなんともなかったのですが、いつも本当に暗い気持ちでした。そして音楽に感動できなくなったり、映画を見てもストーリーが頭に入ってこなかったり……という状態に。大好きだったノンフィクションの書籍も、活字を読むことがつらくなって楽しむこともままならなくなりました。

職場でもケアレスミスが非常に増えた。今でこそ、それはうつ病の症状だったとわかるのですが、当時はすごく凹みました。本当に信じられないようなミスをするので、脳がおかしくなっているのではないかという恐怖を感じていました。

――心療内科にはすぐ行ったのですか?

まさか病気だとは思わず、病院には行きませんでした。

次第に体にも軽い不調を感じるようになってきたので、新陳代謝が悪いのかとサウナに行ったり、更年期を疑って男性ホルモンや甲状腺の異常を調べてもらったりしたのですが、とくに理由がわからず……。サプリでも不調は改善しませんでした。

――自覚のない「ステルスうつ」状態だったのですね。うつ病という可能性には、どう気づかれたのでしょうか?

ネットなどで不調について情報を調べながら、「これは違う」「あれも違う」と一つひとつ可能性を潰していきました。そして残ったのが、うつ病です。

それまでは、まさか自分がうつ病になるとは思ってもみなかった。

いろいろ試して、調べて、手を打ち尽くして、やっと“うつ病以外、可能性ないわ”と。そして自分で認めないと先に進めないと思って心療内科に行って診断を下されました。

――うつ病は知名度が高い病気なのに、実際の病状についてはほとんど認知がされていないと思います。病気にかかる前から知識はありましたか?

まったくありませんでした。自分には無縁だと思っていたんです。

以前、在職していた職場で中間管理職だった時、部下がうつ病になって「辞めたい」と言ってきました。その時、僕は「そんなことはない。絶対やればできるから!」と一生懸命励ましてしまった。

当時は病気についてなにも知らなかったので、自分の経験からだけで判断してしまった。気持ちが落ちているなら、「とにかく励ましてあげなきゃ」と単純に考えてしまったんです。

でも、今、自身が経験してわかるのは、うつ病になるといかにしんどいかということ。しかも励まされたりしたら、さらに症状が重くなって、下手したら“死にたい”とすら思ってしまいます。

その時のことを思い出すと、なんて残酷なことをしてしまったんだろう……と。

世界が灰色になる一方で、ファッションは派手に

――闘病中は以前の生活とどんな変化がありましたか?

うつの時は色の認識能力が落ちてしまって、どんなものも灰色に見えました。その結果、無意識に派手なものを買うように。

それまでは地味な色が好きだったのですが、気がつくと“ショッキングピンクのリュック”や“ライムグリーンのクルマ”など、派手なアイテムに囲まれるようになっていました。

また、病気で仕事がだんだんとできなくなって、会社の給料も下げられました。“役に立っていないからしょうがないな”と思いましたが、給料はひとつの評価基準でもあるので、仕事がうまくいかないのと給料が減ることが重なってどんどんと自信喪失していました。

――うつ病の最中は、ずっと気分が落ち込んでいるものなのでしょうか?

当時、自分の気分について「快適・やや快適・普通・やや重い・重い」の5段階で記録をつけていたんです。5年くらいつけていたのですが、うつのときはだいたいが「悪い」か「やや悪い」。

でも「快適」という日も何度かありました。例えば、それは開発したソフトウェアの発表会の日。壇上に立って注目を受けたことで、一時的に“自分が必要とされている”と感じることができた。

僕がうつになったきっかけは、自分に向いてない仕事を無理にがんばってしまい、それがうまくいかなくて自分のことが嫌いになったことでした。

なので、“必要とされている”という実感が症状を緩和したんです。

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