はじめに

この時期になると比較的手頃な価格で手に入り、秋の味覚として楽しめるさんま。日本人が大好きな魚と言っても過言ではないかもしれませんね。

ですが、日本人がさんまを食べるようになったのは比較的最近で、名前についても「さんま」と呼び、「秋刀魚」と書くようになったのは比較的近代になってからなのです。


名前の由来は細長い形から?

さんまという名前は、元は「さいら」とも呼ばれていたようです。語源の由来には大きく2つの説があり「細長い魚」という意味から来ている説と「大きな群れを作る魚」から来ている説とがあります。現在で漢字表記で「秋刀魚」の字を当てますが、この表記が一般的になったのは大正時代頃で、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」という詩が発表された後に広く知られるようになったとされています。

それまでは「三馬」という文字が当てられた時代もあり、明治時代に書かれた夏目漱石の「我輩は猫である」の中では「三馬」の表記の方が使われていました。古い時代には三馬の他にも色々な表記があったようですが、現在残っている漢字表記は「秋刀魚」だけです。「秋刀魚」という表記はさんまの形から刀という字を取り、旬である秋の字を冠した魚の特徴をよく表した表現と言えます。おそらくさんまという魚のイメージに一番ぴったり来たのがこれの文字だったのでしょうね。しっくり来すぎて「これを見たらもうこれしか思い浮かばない」という組み合わせが時々ありますが、さんまと秋刀魚もそんな関係かもしれません。

多く食べられるようになったのは江戸時代中期から

縄文や弥生時代といった古い時代から日本人に親しまれて来た食材がある一方で、今ではすっかり人気が定着しているのに以前はそうでもなかった物もあります。さんまも、日本人との付き合いは比較的浅く、食べられるようになったのは江戸時代頃からです。

まず「刺し網漁」という漁法が確立した後に、さんまは日本人の食卓に上るようになります。この漁法は和歌山が発祥なのですが、和歌山にさんまが南下する時期には脂が落ちているため、漁場を求めて北上するうちに千葉の辺りにもこの刺し網漁が伝わります。それがきっかけで東京、つまり江戸でもさんまを食べる事ができるようになりました。

ところが当時は淡白な味わいが最上とされ、江戸っ子の好物は白くてあっさりした大根、豆腐、鯛の白身などと言われた時代。脂の乗り切った房総のさんまは粋ではないとして、明かり取りの油の原料になったりもしたそうです。その後、江戸の人口増加で食べ物に選り好みできなくなったために安い大衆魚として食生活に定着して行き、次第においしい物として人気になっていったようです。

落語でもシンプルに食べるのがおいしいと言われている

落語に「目黒のさんま」という演題かあります。お殿様が遠乗りで目黒村に出かけた所、お弁当を忘れてしまい困っていた所になんともおいしそうな匂いがしてきたので訪ねてみると「さんまという魚を焼いています」と言われ、下々の者に食べるものではないと断られながらも口にするととてもおいしく、お城に帰ってからも食べたいと希望したが品の良い料理にしようと脂を抜かれ、骨を取るため崩れた身をごまかすのに椀に盛られて目黒で食べた物とは全く別のまずい物を出されてしまうお話です。

落語のオチはお殿様が「さんまは目黒に限る」と言い、港のない目黒がさんまの本場のような言い方をするおかしさなのですが、シンプルで素朴な食べ方をするだけでおいしい物を、わざわざ手をかけて本来の味とは違った物になってしまった皮肉も込められているのかもしれません。
手間暇をかけたお料理もおいしいのですが、旬の味はストレートで味わってこそ、という物もあります。季節の間に一度はさんまその物を味わうレシピで季節の味を味わってみて下さいね。

記事/ケノコト編集部

元記事:秋の味覚の代表『さんま』古くから親しまれてきた魚〜長月の暮らし〜

(この記事はケノコトからの転載です)

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