奴隷制とイノベーションの狭間

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5月31日に日本でもVALUがローンチされ、爆増する海外でのICOの動きもあり、発行体が自らの一部の権利を売るタイプの資金調達が大きく注目を集めています。

このテーマは発行体が法人であるか個人であるかによって論点も異なってくるのですが、個人については2015年に発表されている論文が丁寧な整理を行っており、その議論の一部を以下に紹介します。

資金調達は通常、将来より高いリターンを得られるプロジェクトがあるからこそ、行われます。個人における例では自らへの教育投資があり、将来より高い給与を得るために現時点では借金をしてでも学校に通う、というのがこれまでの典型でした。一方で、近年ではあまり普及こそしていないものの、負債の形式よりも、将来の所得の一部を返済原資とする株式(のようなもの)を発行する方法が、新たに生まれてきています。

“Human Equity? Regulating the New Income Share Agreements”と題したこの論文は、自らの所得の証券化ともいえる現象について、その権利のあり方を論じています。このような契約はISA(Income share agreements)と呼ばれますが、仮に所得の100%が誰かに奪われてしまう場合、それは立派な奴隷制となります(論文内の表現としてはindentured servitude(年季奉公)、給与が支払われない住み込み制度)。一方で、一部を売却するのであればイノベーションとして扱うことも可能です。

現にISAは理論的なキワモノではなく、古くは1954年にフリードマン&クズネッツが”Income from Independent Professional Practice“などで指摘するように(該当部分はこちらのp90)、一つの検討されるべき選択肢ではありました。米国のように、例えば大学・大学院(MBAを含む)などを出ると明確に給与に差が生まれる世界であれば、それはなおさらのことと言えます。

論文内では、分かりやすいISAの事例としてFantexの事例を挙げています。同社は証券会社として、NFLのスポーツ選手などの収入の10~15%に投資することができるスキームを公募しており、実際に多くの選手が数億円の資金調達をここで行っています。また、他にも故デビッド・ボウイが発行したボウイ債(一定期間の印税の証券化)などがあり、少なくともセレブリティが発行体のケースにおいてはISAが成立していることを見ています。

一方で、ISAが無名の個人の所得にも適用しうるかについては、議論も多様です。論文内に上げられた事例として、例えば米Upstart社は2014年まではISAそのものを返済原資とするP2Pファイナンシングサービスを行っていました。2012年に創業した米Paveも同様にISAを提供しており、返済者の所得が「貧困線」の150%上のラインを下回った場合には支払いを猶予・免除されるような仕組みを採っていたようです。ただ、どちらの会社も現在はそのようなサービスは閉じているか、少なくとも公募はしていない状態となっています。

借り手が個人の場合には、借り手保護の問題が浮上してきます。米国の教育費の高さが社会問題化する中で連邦政府は、所得から貧困線の150%を引いた金額に対して、10%を上限とする返済プランを打ち出す政策などを実施しています。また、Fantexの事例においても、法律レベルでの抵触はなくとも、一般的には「何か気持ち悪い」と思わせる支配構造があるのも事実であり、論文では、奴隷制や債務負担力に関する議論、企業金融における株式の考え方など、ISAそのものを扱う理論がなくとも、他の制度とのアナロジーにおいてISAは理解されるべきではないかという議論を展開しています。

なお、キワモノではありますが、しっかりとした支配権を行使されているケースとしては、ポートランドに在住していたマイク・メリル氏の「個人IPO」の事例が良く知られています。同氏は自分の意思決定を「株主」の投票に委ねるサイトを運営しており、一株1ドルで株式を販売、先日投票にかけられた議案は「マットレスよりも先にネットの契約とPCを買うべきか」であり、否決されるに至っています。他にも、この個人に対する取締役会を設置するべきか、2週間おきの業務報告を発行するべきか、といった議案に対して真剣な数千を超える議決権が行使されており、正直どうでもいい内容なのですが、「人」に対する持分のあり方に一石を投じる盛り上がりを見せています。

VALUやICOなどでも、常に話題になるのは、払い込まれた資金に対する対価がどのような権利となっているのか、という点です。その内容が不確定であることは、とりわけ発行体が個人になるときには強い警戒感をもたらすものであったりするわけですが、本質的に重要なのは発行体がその後、証券の購入者ないし社会に対して発揮していく価値になります。資金調達の時点での約束が不安定であれば、それは発行体のパフォーマンスにも心理的なストレスを発生させてしまう訳であり、真面目に議論するのであれば、その契約の不確実性を下げていくことが、新しい個人の調達手段の定着に繋がっていくものといえるのでしょう。

いったん整理が行われ、不確実性が少なくなっていけば、企業金融とのアナロジーにおいてもMM定理、つまり「発行体の価値は資金調達手段に対して中立である」が成り立つはずです。そのような世界観や安定性に行く着きうるのかが、新たな金融手段の誕生に置いても大事な目線となるのではないでしょうか。

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