ゲスト対談:日本におけるフィンテック推進の経緯とこれからに向けた期待~前編~(元金融庁総務企画局長・元日本銀行理事 池田唯一さん)

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「マネーフォワード Fintech研究所 瀧の対談シリーズ」の第8回をお届けします。今回は、元金融庁総務企画局長・元日本銀行理事で2021年5月に当社Fintech研究所のアドバイザーにご就任いただいた池田唯一さんをお迎えし、Fintechへの取り組みやオープン・イノベーション、これからの金融機関やFintech事業者に求められる役割等についてお伺いした内容を前後編に分けてお届けします。

※この対談は2021年5月21日にオンラインで実施したものです。

今回のゲスト:池田唯一さん

1982年、東京大学法学部卒業後、旧大蔵省入省。1985年、英国ロンドン大学LSE校経済学修士。国際通貨基金(IMF)エコノミスト、 金融庁総務企画局企業開示課長、市場課長、企画課長、総務企画局参事官、総務企画局審議官を経て、2014年に総務企画局長に就任。2018年に金融庁を退官後、日本銀行理事に就任(2020年に退任)。2021年5月、当社Fintech研究所 アドバイザーに就任。

はじめに

瀧)この度は、マネーフォワードFintech研究所のアドバイザーにご就任いただき、本当にありがとうございます。

池田さんといえば、私がFintech研究所を作り、政策の調査の第一歩として2015年に金融審議会の決済高度化スタディグループに傍聴に行ったときに、事務局側に座っていらっしゃったのが当時の池田総務企画局長でした。それ以来、私は、日本でFintechや決済高度化などを推進する大きなモメンタムを作っていただいたのが池田さんだと考えていて、今日の対談は本当に楽しみにしていました。

一方で、昨年、日本銀行の理事を退任されてから療養されていたと伺っています。現在のお体の調子はいかがでしょうか。

池田)昨年、自分でも思ってもみなかったような体の変調で日本銀行の理事を退任することになりましたが、おかげさまで治療もうまく進み、現在、体調は良好です。

瀧)それは何よりです。今後は、これまで以上に色々とご指導いただければ幸いです。

これまでのキャリアで取り組んできたこと

瀧)さて、早速本題になりますが、これまで大蔵省(現財務省)・金融庁・日本銀行に至るまで、池田さんは本当に長く金融行政に携ってこられたことになりますが、具体的にどのような仕事に取り組んでこられたのか、改めて教えていただけないでしょうか。

池田)私は1982年に大蔵省に入省し、その後省内の金融部署が金融監督庁、のちの金融庁に分かれてからは2018年までそちらの方で働くことになりました。金融庁退官後の日本銀行理事の時期まで合わせると、38年間、その大宗で金融の仕事に従事してきたことになります。

この38年間を振り返ってみると、1つには、金融危機への対応に携わってきた期間が長かったように思います。実は、1989年から1992年までの3年間、私はIMF(国際通貨基金)に出向していたため、いわゆるバブル経済の最盛期には日本にはいなかったんです。1992年にIMFの任期が終わって帰国するときに、IMFの同僚から「地価が下がって、日本は大変なことになるんじゃないか」と言われても、自分は実態をよく知らずピンとこなかった。ところが、日本に帰ってきてみると確かに大変なことになっていたというわけです。

帰国後に配属になったのが大蔵省銀行局の中小金融課で、まさにバブル崩壊の処理を担当することになりました。それ以来、色々と部署が変わり、金融庁に場所を変えてからも、それぞれの部署で、バブル崩壊の後始末の仕事が2000年代半ばまで続きました。

それでやっと一段落したと思っていたら、2008年にリーマンショックが発生し、今度は金融庁の市場課長として処理に携わることになりました。この大きな2つの金融危機の処理に携わったことが、私の経歴の中では一つの大きな仕事の塊になります。

それから2つ目として、もう少し前向きというか将来に向けての仕事といえば、いわゆる金融証券市場の整備になります。今では日本版金融ビッグバンと呼ばれる金融証券市場の改革で、当初は証券市場担当部署の課長補佐として企画立案に携わりました。この市場改革の仕事には、その後も課長や審議官などといったより上位の立場で、また、最終的には金融庁の総務企画局長として関わることとなり、2005年以降毎年のように金融商品取引法の改正作業を行わせていただきました。

3つ目が、先ほど瀧さんもおっしゃったITを使った金融サービスの改革とそのための制度整備や環境整備の仕事です。2014年に総務企画局長になり、それ以降、決済高度化やFintechの推進、関連する銀行法や資金決済法の改正作業などを行い、最終的には日銀でも決済関係の仕事に携わることになりました。

瀧)今ご紹介いただいた仕事には、金融危機の後始末のような守りの仕事と、証券市場改革やFintechの推進のような攻めの仕事があるように思われますが、池田さんとしてはどちらがご自分として向いているとか、どちらがキャリアとして重みがあるといったお考えはございますか。

池田)あえて全体を2つに分類すれば、後始末的な仕事と将来に向けて改革していく仕事に分けることができるのでしょうが、本来両方は一体のもので、両方ともしっかりやっていかなければいけないところがあると思っています。しかも、双方の仕事が相反しているとは考えていません。

例えばリーマンショックの時には、その前年に欧米でサブプライムローンといった金融商品に関わる問題が発生し、それがショックにつながった、金融証券市場が自由化されて色々な商品が出てきたのでそういう問題が起きた、日本でも金融証券市場を自由化すると同じような危機を起こすことになるというような議論もあったわけですが、私は必ずしもそうは思いません。確かに欧米市場においては、ある意味行き過ぎた金融自由化を経てリスクテイクが甚だしかった面がありますが、日本では金融証券市場の整備がまだ途上で、自由化の課題も多く残されていた。そういう状況だったので、海外発のショックで日本の市場が大きな負の影響を受けた面があると考えています。海外では、危機への対応として金融証券市場の再規制(reregulation)をしてもらわなければならないということがあったかもしれませんが、日本では、海外の事例を教訓にして必要な規制は整備しながらも、同時にまだまだ金融証券市場の自由化(deregulation)を進めていかなければならず、自ずと海外と日本では処方箋が異なる面があったと考えています。そういう状況の中で、将来に向けた金融証券市場の改革はショックの後始末でもあったわけです。

民間有識者からの提言の活用

瀧)もう一つ伺いたいのは、私は大学では故池尾和人先生のゼミに在籍していて、2004年に野村證券に就職した時には大崎貞和さんの部下でした。そうした環境で知見をいただきながら勉強や仕事をしてきて、今でも大きな影響を受けていると考えています。他にも青山学院大学の大垣尚司先生や故蠟山昌一先生など、色々な先生方に憧れを持ちながら仕事をしてきました。日本では、90年代からこうした「民の力」といいますか、民間の専門家から色々な提言を受けて改革を進めてきた面があると理解しているのですが、その頃に比べて最近では、民間の専門家はより頼れる存在になっているのか、それとも提言する力が低下しているのか。いきなり飲みながらするような質問になってしまって恐縮ですが(笑)、どうご覧になっていますか。

池田)今のお話に出てきた方々は、私自身も大変お世話になった先生方ばかりで、池尾先生は先ほどの金融証券市場の改革の仕事の中で、若い頃から何度も検討会の座長などの立場でご指導いただいてきたし、蠟山先生も日本版金融ビッグバンの審議を行った証券取引審議会の部会長でいらっしゃいました。あるいは、大崎さんも日本版金融ビッグバンが進行していた当時、市場間競争に関する立派な書籍を出されて、我々も大いに参考にさせていただいた。以来、長年にわたり貴重なご意見を頂戴してきました。ちなみに、大垣氏は実は大学時代に同じゼミだった時からの知り合いで、いろいろと大学時代は悪いこともした仲ですが(笑)、今でもいろいろお話をさせていただいています。

(オンライン対談の様子 池田さん(写真左)と瀧(右))

瀧)えぇーっ、そうなんですか!

池田)ええ、実はそうなんです(笑)。そういう意味では、昔から一貫してそうした方々からいろいろな知見をいただきながら行政官として同じゴールに向かって仕事をしてきたわけです。

とりわけ金融関係の制度づくりは、非常に変化が激しい中で、正直に言って何が本当の正解なのかはわからないところがあります。役所には色々なタイプの仕事があって、一方では最終的な結論がある程度明らかだったり、ある程度答えの見当が付いていたりして、あとは色々な立場の方と利害の調整をしなければならない仕事が少なくないわけです。しかしもう一方で、特に金融の仕事は、多くの場合、正しい答えは誰にもよくわからない。審議会などで色々な議論をする時も、調整のためではなく、本当に答えがわからないのでいろんな方々に意見を聞いて、審議のプロセスの中で正しい解を探していく面が強いわけです。そういう意味では、1990年代の金融ビッグバンの時から民間の先生方に意見を聞くといった姿勢は一貫していたように思います。まあ、官との比較において、もし民のほうにウェイトが重くなっているという感じがあるのだとすれば、それは官がサボっているという面があるのかもしれませんが(笑)、これからも官と民との共同作業の中で政策が立案されていくのではないかと思います。

瀧)そういう意味では、当社というよりも業界として、次の池尾先生のような本当に政策通の方を輩出していく貢献ができないかとも思っています。

池田)金融庁にも小さいながらも金融研究センターがあって、若い学者の先生方とも交流があるわけですが、しばしば学者の先生方が関心を持つテーマと役所が研究して欲しいテーマが一致しない面があって、我々が悩んでいるテーマをご説明しても必ずしも研究テーマとして取り上げていただけないことも多かったですね。面白いテーマはいろんなところに転がっているのになぁと思ったりするのですが、その辺は、政策的にも学術的にも両方が楽しみを覚えるようなテーマが見つけられるといいなと思ったりしています。

Fintechに取り組み始めた背景

瀧)池田さんが総務企画局長にご就任されて、Fintechに取り組み始めた2014年頃には、まだFintechという言葉もなかったと思うのですが、その当時、何から手をつけようとか、どう進めようとか、どのような問題意識がおありだったのでしょうか。

池田)おっしゃるように、2014年に決済の高度化やFintechに取り組み始めた当時、Fintechという言葉はほとんどの方には耳慣れなくて、まずは言葉の意味から説明していたような状況でした。逆にいえば、Fintechという言葉は今では広く人口に膾炙しているのではないかと考えていますが、金融庁がFintechという言葉を使い始めたことが、相当程度貢献しているのではないかと考えています(笑)。

総務企画局長として、速やかにそうした政策に着手した背景として、一つは、IT技術が急速に進んでいたことと、日本の場合は少子高齢化が進んだことがあります。そうした中で家計や企業の金融サービスに対するニーズに相当な変化が現れてきているし、これからさらに変わっていくだろうというふうに思ったわけです。そのニーズの変化にIT技術を使えば色々と対応していくことも可能になってきている。それなのにどうも、従来の金融サービスは、そうしたニーズに十分に応えられていないのではないか。総務企画局長になる前に、監督局で金融機関の業務運営を色々とみている中で、新しい金融のニーズに対応していくためには、まだまだ相当な努力の余地があるのではないかと感じていました。

2番目として、海外の動きがありました。当時、国際的にはGAFAや中国のアリババなどが金融業に参入の動きを示していました。また、リーマンショック後の英国市場やシンガポール市場などでは、金融センターとしての一時期の輝きを失ったのではないかという状況の中で、ITを活用して金融業や金融サービスの再構築を図ろうとする動きが急速に進んでいると受け止めていました。そうした海外の動きに対して、日本が手をこまねいていては、金融業や金融市場の競争力低下につながっていくのではないかという一種の危機感があったわけです。

それから3番目として、制度整備の必要性です。当時、日本の多くの金融機関が、バランスシートは健全で、リーマンショックを受けてもびくともしなかったわけですが、収益力の低下には苦慮されていました。そういう中で金融庁は、各金融機関に対して、「5年後、10年後を見据えた持続的なビジネスモデルを構築してください」と言い続けていたわけですが、私はそれだけでは金融庁として十分な役割を果たしたということにはならないのではないかという思いを強く持っていました。各金融機関が中長期的なビジネスモデルを検討したり、新たなビジネスモデルを構築しようと考えたりしたときに、もし何らかの法令や制度、その運用などがそうした新しいビジネスモデルの構築の障害となるのであれば、積極的に見直して、金融機関の経営の選択肢を拡げていくということにも取り組んでいかなければ、任務を果たしたことにならないと考え、そうした取り組みを行うことになったと思います。

瀧)英国やシンガポールは、もともと金融を国策としていて、ある種のフットワークの軽さもあって育成している面があると思いますが、そうではない日本の金融庁が、金融を育成するための政策にITを取り入れるというのは、当時は相当大きな決断だったのではないでしょうか。

池田)私は2014年から局長という立場にありましたが、それまで34年にわたって金融の仕事に携わってきて、何か行政として新しいことやろうじゃないかということを金融機関の方々に示したときに、往々にして「それには大変なシステム構築コストや時間がかかるのですぐにはできません」などと言われて、なかなか思ったような時間軸では物事が進まないという経験を度々してきたわけです。

それに対してFintech企業の経営者の皆さんと話していると、「そんなのはすぐにできますよ」とか「そんなにコストはかかりませんよ」という反応がありました。それまではシステムなどが障害になってなかなか思い通りに事を進められないという歯痒い思いをしてきたわけですが、そういう中で、Fintechの皆さんのスピード感には敬服するところがあって、そうしたみなさんと一緒に仕事をしていくことで何か新しいイノベーションを起こすことができるのではないか、と思ったのは事実です。

銀行APIの取り組みとオープン・イノベーション

瀧)当社に関わりの深い銀行APIについては、2014年から2015年にかけて、当社のビジネスがある程度大きくなってきたなかで、これ以上スクレイピングをしてほしくない、といった話が連携先の銀行から出始めていました。一方で、欧米でも取り組みが始まっているAPIを提供していただけないでしょうかと銀行に相談すると、言葉を選ばずに言えば本当にけんもほろろな状況でした。そうした中で、金融庁によって銀行APIのオープン化がその翌年に制度化されるとは、まさか思ってもみなかったわけです。このように銀行APIが金融サービス改革の一つのアジェンダに至った背景や、当初の狙いとしてどういうところにゴールがあったのか、教えていただいてもよろしいでしょうか。

池田)銀行APIのオープン化は、2014年以降の一連の取り組みの中でも重要な位置付けを持つ制度改革だったと思うのですが、それが出てきた元を辿ると一つの重要なスローガン、あるいは中核になった考え方として「オープン・イノベーション」があるわけです。一連の金融サービスの改革を進めていく時に「オープン・イノベーション」を重視していこうと考えて、その一環として銀行APIのオープン化を位置付け、そのために制度改革が必要ということになったわけです。

当時、ITを活用して金融イノベーションを起こしていくことを目指した時に、果たして日本において、既存の金融機関だけに任せていて本当にイノベーションが起きるのか、という危惧のようなものを感じていました。日本では既存のシステムの改変には相応のコストも時間もかかる一方で、海外では急速にイノベーションが進んでいるという状況で、従来の進め方では間に合わないのではないかということを危惧していたわけです。他方で、GAFAなどに匹敵するような巨大な企業が必ずしも存在しない日本において、Fintech企業だけに任せておいて、本当にダイナミックな動きになるのかという不安な思いもありました。

そこで、「オープン・イノベーション」という考え方の下で、既存の金融機関とFintech事業者の両者の間で、適切な競争をしながら連携していくことが大事ではないか、という考えに至ったわけです。日本でオープン・イノベーションを進めるためには、行政当局として、環境整備の一環として銀行APIのオープン化を進める必要があったと考えています。

瀧)今の電子決済等代行業のような事業者は、当時は何の規制や法令にも準拠していない事業者でしたが、それが今のように統制可能な枠組みの中で既存の金融機関と連携していくというのは、金融機関側の積極的なリスクテイクが必要となるわけですが、そういうリスクテイクも当局が丁寧に調整すれば本当に実現するのだなぁ、という新鮮な驚きがありました。

池田)確かにオープン・イノベーションというと簡単ですが、既存の金融機関とFintechの事業者との間には、規模の面でも歴史の面でも、事業のスタンス、企業文化、スピード感などの面でも、かなり大きな隔たりがあったし、今でもあるのだと思います。

2016年に、金融庁と日本経済新聞とが共催して第一回のFinTech Summit(FIN /SUM)を開催したわけですが、その時にゲストとしてお越しいただいた麻生金融担当大臣が、「Gパンを履いたお兄ちゃんと、背広を着てネクタイをした銀行員とが一緒に取り組んでいる。面白いものを見た」と色々な機会でおっしゃっていました。最初はまさに、そういうスタートだったと思っています。私もその頃、FINOLABに招待していただいて、背広姿でFintech協会のみなさんと交流しに行きました(笑)。その頃、金融機関とFintech事業者の両者がコラボを進めていく中ではそれだけの隔たりがあったので、その両者の間で化学反応を促していくためには、時として、行政の立場で調整役を務めていかなきゃならない役回りもあったと思います。

ただ、今に至ると、金融機関もFintech業者も両者の意識は相当変わってきているのではないかと思います。是非これから、オープン・イノベーションによる良い成果が現実に生み出されていくことを期待しています。

瀧)私の記憶としても、両者の調整弁が本当に必要な時に相談に向かったのはやっぱり金融庁で、それはこの何年にわたって何度も経験してきたわけです。金融庁の方々には、単に良いニュースや悪いニュースを提供するというよりは、そもそも既存の金融業界と会話するにはどうすればいいかを聞きにいっていたようなところがありました。歯車と歯車が噛み合って回り始めるような、無から有を生み出すようなタイミングで、金融庁に調整していただいたことはすごく大きかったと思っています。

池田)そういう役回りもある程度しなければならなかった状況だったのかなと思います。本来は、あるいはこれからは、行政当局が関与しなくても、自律的にそうした化学反応が進んでいくことが望ましいと思っていて、その結果、決済や金融システム全体がうまく回っていくというのが本来の望ましい姿なのでしょう。

瀧)池田さんは実際には、Fintechやオープン・イノベーションだけでなく、決済の高度化など、もっと大きなインフラを含めて、様々な改革を進めてこられたわけですが、全般として、2014年当時に立てた目標に対して、これまでの取組みについてはどう評価されていますか。

池田)2014年から現状までを振り返ると、制度整備、あるいは基盤的な整備という面では、当時から取り組んできたことが一定の成果を残してきたのではないかと考えています。

具体的には、これまで話してきた銀行APIのオープン化のほか、XML電文に対応した金融EDIを可能にするいわゆるZEDIの導入、電子的なKYCを可能にする枠組みづくり、キャッシュレス決済の浸透などです。あるいは、オープン・イノベーションを通じた金融サービスの高度化を可能とするための金融機関の業務範囲の見直しなど、法制度や基盤の整備もそれなりに進んできたと思います。一方で、その結果、金融業や金融サービスが実際にどれだけ改善され、高度化したかというと、成果という意味では、当初考えていたペースに比べると、少しゆっくりだと思っています。

一方で、取り組みを開始した背景でもある海外の動きをみると、GAFAや中国のテクノロジー事業者が金融業に参入していく動きの中で、そうした事業者が日本で金融事業を展開していくスピードは、当時はもっと速いのではないかと思っていて、だから日本も早く対応しなければならないと思っていたのですが、海外の動きも私の想定よりはゆっくりだったので、日本の動きが想定よりゆっくりでも結果としてオーライであったわけです。しかし、全体的な状況が変わったわけではなく、私としては、そろそろ成果を本格的に出していくべき時期なのではないかと思っています。

前半の記事はここまでです。後編では、日本におけるイノベーションのあり方や銀行API、今後金融機関やFintech事業者に求められる役割等についてお伺いした内容をお届けします。後編はこちらよりご覧いただけます。

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