「マネーフォワード Fintech研究所 瀧の対談シリーズ」の第11回目の中編をお届けします。日本銀行金融研究所長の副島 豊さんをゲストにお迎えし、前編では副島さんが日本銀行に入行された当時の情勢やお仕事、1980年代後半からの日本の金融政策や金融の歴史などについて伺いました。
中編では、キャッシュレス決済を手掛かりにマネーとは何かを考えてみたうえで、現代日本のマネーシステムが明治期以降どのように形成されてきたか、多様なマネーシステムがかつて存在し、現代をマネーシステムの再揺籃期として副島さんがどのように捉えられておられるかについて伺った内容をお届けします。前半の記事についてはこちらよりご覧ください。
「キャッシュレス決済」による金融システムのリノベーション
瀧
前回は、1990年から2000年代の日銀が、環境変化に適応してある種のトランスフォーメーションを実行してきたというお話しを伺いました。現在のフィンテックと呼ばれる動きやCBDCなどマネーを巡る新しい動きについてはどのようにお考えでしょうか。
副島さん(以下、敬称略)
マーケットの自由化に関するお話をしましたが、ここ10年程でマネーに関するシステムのリノベーションがグローバルに始まったという感覚があります。現金と預金を中核とする今のマネーシステムはよい意味で標準化され統合されていると思うのですが、実は1980年代後半には今の原型は出来あがっていて、その後、大きな変化はなかったんです。銀行の第三次オンラインシステムが完了したのがその頃で、今の勘定系システムはその延長線上にあります。全銀システムの第三次更改や日銀ネットの稼働もこの時期です。この頃に今の日本のマネーシステムの原型が出来上がり、基本的には現在も変わっていません。こうした構造があまりにも当然のこととなってしまい、他のマネーシステムとしての選択肢がありうることをここ30年ほど全く考えなくなってしまっていました。
(対談の様子: 副島さん(左)と瀧(右))
ところが、そのような中で「キャッシュレス決済」という新たなイノベーションが起こりました。特にプリペイドマネーにおいて、銀行ではなく一般事業法人が債務性マネーを発行する仕組みは大きな転換点だったと思います。プリペイドされた電子マネーは、理屈としては預金と同じ一種の債務性マネーとみなすことができます。消費者が銀行預金を振り替えて、プリペイドのウォレットにチャージし、チャージ金額相当のポイント付与を受けるわけですが、このポイントの正体は発行体の債務と考えることができます。
それまでにも航空機のマイレージなど、ポイントビジネスとしてこの債務は存在していましたが、日常の買い物に使えるサービスとなったのは電子マネーの形態をとったからこそです。前払い式支払手段においては現金化ができず、用途も限定されているため、これが債務性マネーの一種であることはあまり意識されなかったと思います。ところが資金移動業になって人に送金をしたり現金に戻せるようになったことでマネーらしさが強くなり、より預金に近い性質のマネーが世の中に広がっていくことになりました。現代社会を支えるマネーは、現金と銀行が負債として発行する預金マネーです。それに加えて「ノンバンクが発行するマネー」が登場したことが、一つの大きな動きだったと思います。
もう一つは暗号資産の流れによるもので、暗号資産は資産なのかマネーなのかという議論が起こり、当初は「暗号通貨」と呼ばれていたためにマネーではないかという意見もありました。一方で、その性質や機能を考えると、資産という位置づけが適切ではという整理のされ方が広がりました。この点はアメリカの証券取引委員会で「BitcoinやEtherのようなインフラとして普及したもの以外は、投資性がある証券である」という整理が一度されたのですが、どこで線を引くかというのは難しい問題で、どのような規制体系下に位置づけたほうがよいのか現在でも引き続き議論されています。
また、暗号資産のインフラである分散型台帳技術を使いながら価値安定化を図ったステーブルコインも登場してきました。また、リブラ(ディエム)のようなグローバルなノンバンクマネーの発行プランも登場してきました。これらに共通しているのは、「ノンバンク」が、「国境に関係なく利用できるような」、「マネー類似機能をもつ債務を発行している」という点にあると思っています。
ところで、発行体(債務者)が異なるマネーには互換性はありません。A社の債務をB社に請求することはできないという当たり前の話です。この点は銀行預金も同様で、預金という負債を発行し、これを決済手段として為替サービスを行うことは銀行の本業のひとつなのですが、銀行Aの債務と銀行Bの債務には本来、互換性がありません。ところが私たちは、普通に銀行Aの預金口座から銀行Bの預金口座に送金できていますよね。これは、中央銀行が銀行用にホールセールマネーである当座預金を提供することで銀行間振替が実現されているわけです。
中央銀行ホールセールマネーがないと、銀行同士が互いに預金口座を持ち合うというコルレスバンキングで送金が行われる、あるいは民間の大規模銀行が中央銀行の代わりに銀行間決済用マネーを提供するというかたちが考えられます。前者はN×Nのネットワークになり、決済用預金の効率性が著しく低下しますし、後者は、その大銀行の破綻リスクや資金繰りリスクをどうマネッジするかという問題が生じます。そう考えると、銀行預金マネーと中央銀行ホールセールマネーの二階層型マネーシステムが世界の標準形になっていることの理由がわかると思います。
マネーの自由化
マネーの歴史を振り返ってみると、金貨や米・布などの商品貨幣と、商取引に伴って発生する債務としての信用貨幣というものが大昔から存在していました。マネーの発生形態の一つは、「私はあなたに貸しがある」という債権の概念が他人に譲渡可能になったときに生じたものなんです。これは日常でもよくある話で、友人同士で飲み会のツケを他の貸し借りと合わせて清算したりする際に顔をのぞかせます。ITの発展によって債権の譲渡を効率的に行えるようになったため、技術的には様々な主体がマネーを発行できるようになりました(*)。
(*)民法では一般的な債権の譲渡には様々な手続きが必要であり、このため預金債権については譲渡ではなく発生・消滅という法律構成が採られています。ここでは深入りせず話を進めます。
ただ、信用貨幣には債務性がないものも存在しています。これは「みんながマネーだと認識し、支払い手段として受け取るようになれば、それがマネーになる」というタイプの信用貨幣です。「信用」の意味が違うので同じ言葉を使うと混乱するのですが、とりあえず両方とも信用貨幣と呼ぶことにします。
実は日本もこの信用貨幣に依存していた時期があり、鎌倉から室町時代にかけて中国からもたらされた渡来銭がそれに当たります。この渡来銭は金貨のように金属価値がある商品貨幣ではなく、もちろん発行体への請求権も無い(そもそも発行体の王朝が消滅している)のですが、決済手段として社会が広く受容することにより、価値保蔵手段としてのマネーの性質も獲得しました。将来も支払いに使うことができるので価値保蔵手段になるわけです。
この渡来銭は商品価値がなく債務性マネーでもないという意味で暗号資産との類似性があります。日本の中世のお金と暗号資産が似ているって不思議ですよね。ただし、暗号資産は広範な受容性を獲得するだけの社会的信用がありません。それゆえステーブルコインのようにバックアセットに対する請求権を確保することで受容性を高めようという試みがなされているのだと理解しています。このようにCBDCも含めて色々なマネーが試されているという試行錯誤が近年のマネーシステムに生じている変化点だと思います。1980年代の「金融の自由化」になぞらえると「マネーの自由化」が起きているのだといえるのかもしれません。そして、技術ドリブンで誕生したマネーや資産は、現在の法規制体系と強烈なコンフリクトを起こします。管理された自由化ではないから当然ですよね。
瀧
このレベルの議論は 2019年6月にFacebook(現Meta)による暗号試算“Libra”(その後”Diem”)の登場によって表に出てきたという認識でよいのでしょうか。
副島
そうですね、やはり世界中の中央銀行が注目したきっかけは “Libra”というプランの登場だと思います。ただ、それ以前からキャッシュレス決済の普及によって、各国の中央銀行はマネーシステムに生じた構造変化にどう対応していくのかという問題意識は持っていました。例えば、ノンバンクがこれまでの二層決済構造の中でマネーを発行すると、結局は銀行を使わざるを得なくなるため三層構造となるわけです。階層が深くなればなるほど決済コストが高くなります。中央銀行はこの問題にどう対処するべきか頭を悩ませてきました。
この点、イギリスの中央銀行が早い時期にアクションをおこしています。イギリスには日本の全銀システムに相当する “CHAPS”という大口の資金決済専用のクリアリングシステムと、小口決済専用の “Bacs”というクリアリングシステムが存在しています(全銀システムは大口小口を区別せず両方をカバーしています)。しかし小口決済用システムの “Bacs”はレガシーなシステムで、決済指図を出してから支払の完了までに約3日間かかっていました。例えば、給与の支払等で “Bacs”を利用する際には予め何日か前に支払い指図を出しておく必要があり、即日決済はできないという課題がありました。
そんな中、民間企業が即時決済ニーズに応えるためファストペイメント・サービス(FPS)という新システムを提供しはじめました。ここにノンバンクである決済サービス事業者が参加できるようにすることで階層構造がフラット化できるのではないかという意見が出たのですが、資金決済を行うには中銀マネーへのアクセスが必要となります。イギリスの中央銀行はファストペイメント・サービスにノンバンクが参入することを認め、ノンバンクにも銀行と同様に中央銀行マネーにアクセスできるよう制度変更を行いました。
一方で、オーストラリアは、イギリスのように途中からのFPSの役割を拡大させる展開ではなく、決済サービス事業者が参加できることを当初から計画して“New Payments Platform”という小口専門の決済インフラを構築し、利用の普及にあたっています。
瀧
私たちは都合よく世界を解釈しがちなので、ノンバンクがFPSに参加したということを、イギリスの国としての競争政策的な意図として理解する見方もありました。一方で、お話を伺うと「効率的で望ましい社会の実現」という目線での取組みなのではという気がしたのですが、その点どのようにお考えでしょうか。
副島
イギリスは少々特殊なケースであると思っています。ご存知のとおり、イギリスは銀行サービスの担い手が少数の大銀行に集中していて、独占的な利益を得ていると批判されてきました。それゆえ、競争を促して新しい金融サービスを提供する必要があるとも議論されてきました。そうした流れのなかで、新しい金融・非金融サービスの担い手としてのFinTech企業が銀行の決済サービスにアクセスできることの重要性が高まり、具体的にはオープンAPI接続を銀行側に要請した際には必ず対応しなければならないというPSD2の枠組みが制定されました。競争政策上の取組みの一環として改革が進められてきたということです。
見方を変えれば、よりよい金融サービスを提供するにはどのようなインフラを整備する必要があるのかという視点から競争政策が推進されてきたとも言えそうです。これをさらにもう一歩掘り下げると、よい金融システムとはどのようなものかという視点に行きつきます。こうした視点から、未来の金融システムやマネーシステムの在り方、そこに至る過程の議論を関係者の間で重ねながら世界は発展していくものではないかと考えています。CBDCも同じだと思います。
日本のマネーシステムの歴史からみるこれからのあり方
瀧
CBDCも“Libra”の議論が出てきた最中で注目されてきたトピックだと思うのですが、国の規模で事情が変わってくる側面もある中で、通貨というものにおける競争(誰がマネーを発行するか、インフラをどうデザインし整備するか)が激しくなったと理解しています。
副島
今日の一番のメインテーマとしてお話したかったのがマネーシステムのデザインの多様性です。日本のマネーシステムは明治時代以降に統一化、標準化、効率化の道を歩んできました。最初にお話ししたように、現代のマネーシステムは1980年代頃に構築されたシステムが大枠の完成形としてあり、これを当たり前のものとして運用してきました。しかし少し立ち止まって考えると、そのシステムは歴史を遡ると色々な選択肢があったわけです。
例えば、日銀ネットや全銀システムや銀行勘定系システムも遡れば紙で運用されていたわけですし、明治の初めに銀行システムができた際に内国為替はコルレスバンキングとして整備されました。現在は、コルレスバンキングというと外為取引が頭に浮かぶのですが、日本銀行ができる前の国立銀行間の為替取引は互いに口座を持ち合うコルレスバンキングでした。日本銀行設立後もその支店網が急に拡大したわけではないので、当座預金を用いた決済とコルレスバンキングによる決済が併存していました。ちなみに、内国為替が集中化され、当座預金を通じた効率的な決済が進展したのは戦時体制下でのことでした。
瀧
1940年代に一県一行主義があった背景にはそのような視点もあったのですね。ところで、いまちょっとお話に出た国立銀行の設立は渋沢栄一の大河ドラマもあったので気になるのですが。
副島
明治初期になぜ国立銀行(国の制度に基づいて設立された民間銀行)が出来たかというところですよね。日本は当初、中央銀行ではなくて国立銀行が発券銀行の役割を担っていました。これも現代の常識とは異なるので驚きますよね。当時の大蔵官僚であった伊藤博文がアメリカに、同じく大蔵官僚の吉田清成がイギリスに、それぞれ留学をして得た知識をもって、近代銀行制度の基礎となる銀行論争を繰り広げていました。その結果、預金マネーに加えて現金マネーも民間の銀行が発行する一方で、その銀行券は兌換紙幣として金貨の準備の裏打ちがあって発行されるという折衷案に落ち着くかたちで国立銀行制度を採用することとなりました。太政官札という政府紙幣が不換紙幣として大量発行され、これがインフレを引き起こしていたことが背景にあります。
ここで、紙幣を発行できる民間銀行が貸出による信用創造を行うとどのようなことが起こるかちょっと考えてみましょう。国立銀行にお金を貸してくださいと申込むと銀行側の貸借対照表の資産の部には「貸出」が立つわけですが、負債の部には銀行券が立ちます。もちろん、全部を銀行券で持ち出すわけではなく、預金としても残るので負債には両方が立つのですが、銀行券が負債になるところが面白いですよね。今の中央銀行と同じです。もちろん、経済が成長するにつれ家計・企業部門の資産が預金として保有されるようになり、預金の構成比が急速に高まっていくわけですが、国立銀行誕生にはこのような経緯があったわけです。
また、これも意外と知られていない話なのですが、準備預金制度があったから中央銀行と民間銀行の二階層構造になったわけではありません。日本の準備預金制度は1957年に導入されました。戦後です。明治初期に中央銀行預金マネーの提供は始まっており、これは日本銀行の設立目的の一つであった「金融を便益にする」、つまり、銀行間のコルレスバンキングだけでは地域間の金融市場の分断、資金の偏在を解消することができず、中央銀行マネーと決済サービスの提供により金融市場を統合していくことなどを目標に導入されたものです。1882年の「日本銀行創立趣旨ノ説明」に明記されています。政府紙幣や国立銀行券に代わって中央銀行券を発券すること、中央銀行預金という決済サービスを提供することが設立の狙いだったわけです。
しかし、中央銀行預金を用いた集中決済制度が決済インフラの中核となったのは、第二次大戦中の戦時体制下で行われた内為決済の集中化のタイミングでした。それまでは銀行間のコルレスバンキングと中央銀行預金を用いた決済が併存してきたといわれています。さらに、内為集中決済を担う清算機関が債務引受を行うという新内為システムへの移行は2001年、セントラル・カウンターパーティとして法的に整備されたのは2009年とつい最近の話です。
このように、現在のマネーシステムが形成されてきた歴史を振り返ってみると様々な変遷があったことがわかります。現在の制度が固まったのはそんなに昔の話ではないのですが、現在の我々にとってはあまりにも当たり前すぎて、様々な形態があったし、ありえたのだという想像は働きにくくなっています。さらに、江戸期や鎌倉室町の中世まで遡ると、もっと色々なマネーの形があったことがわかります。多様なマネーの発行者、商品貨幣と信用貨幣の併存、計数貨幣と秤量貨幣の併存、異なる貨幣の計量単位(両、分、朱、銭)の併存など、マネーシステムの形態は遥かに多様なものでした。日本銀行の金融研究所は貨幣博物館を運営しています。その「お金の歴史」ページに「貨幣の歴史」コーナーがあります。そこで、日本の貨幣史を研究されている第一線の先生方に日本の貨幣や貨幣制度の歴史を分かりやすく解説いただいています。是非一度読んでいただけたらなと思います。
(対談の様子: 副島さん(左)と瀧(右))
少し宣伝をしてしまいましたが、マネーはとても多様な姿で存在してきました。明治期以降の日本では効率重視でこれを統一化、標準化していったわけですが、現代では技術の進歩によって逆の流れが起きていると言えそうです。IT進化を梃に、多様なマネーシステムの在り方をもう一度試そうという動きなのだという見方をすれば、マネーの大河ドラマの再スタートをリアルタイムでみている、かつ当事者として参加しているという楽しみ方もできそうです。技術を使ってもっと便利なマネーな金融資産を生み出そうとする流れの最たる例が暗号資産やステーブルコイン、セキュリティトークン、DeFiの登場だと思っています。
瀧
そうしたポジティブな見方がある反面、特に今、メタバースや「NFTを買うためのNFT」が存在するなど、新しい世界を見ている人に富が偏在していく世界観を通貨の売りにしたいという感覚があるのではないかなと思っています。自分たちが信じたい新しい世界に入り込む人に富が偏在しているような通貨を求めるという競争感を感じています。このような、現在とは少し異なる世界観に中央銀行がどこまで付き合っていく必要があるのかという点が興味深いなと感じています。
中編はここまでです。後編では暗号試算やDeFiなどの今後のマネーに関するお話や、副島さんがもし2045年にタイムスリップした場合にどのような取組に挑まれるかなどについて伺った内容をお届けします。後編も近日中の公開を予定しておりますので、是非ご覧ください。